身近な「時間と心のゆとり」アドバイザーのあつやです。自分自身が時間をうまく活用できなくて困ったり、あがり症・人見知り・引っ込み思案で悩んだりゆとりがなかった経験から、専門の心理学や時間学の知識を活かして、ブログやHP・SNSなどで解決策を共有したり、本や小冊子で伝えています。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
1.密度の低い時間をなくす(ダラダラ・ノロノロ)(浪費)
私たちもよく経験することですが、作業自体やってはいるのですが集中できなかったり、気が散ったり、やる気が出なくてついダラダラと作業してしまうことがあります。
時間をかけたわりには作業がはかどらず「ダラダラと時間を過ごしてしまったなあ」ということになるパターンです。私もよくあります。
「ゆっくり・のろのろ作業している時間」「寄り道作業をしている時間」「モティベーションが低下している状態の時間」「なんとなく作業をやっている時間」は、「作業状態」としてはスキマなく継続しているのですが、ムラがあり、中身がスカスカの時間なので、実働時間としては、「密度の低い時間」となります。
これはおもに精神的な面が大きく、「イヤイヤ感」「やらされ感」「目的がない状態」「ゴールが見えていない状態」「気乗りしない状態」などの原因があります。これは作業の効率が下がり、動いているけれど力が入っていない状態の時間です。このままではスピードに乗れず、ずっとスローペースのままです。
こういうときはなるべく作業を「自分ごと」としてとらえ主体的にすすめること、そして「やること」「やらないこと」をきっぱりと決めて相手を減らすことが大事です。
またこの状態のままだと他のことに気が向いてしまったり、あれこれ考えてしまったりして注意力も散漫になり、間違いが多くなったり、考えがまとまらず思考が行ったり来たりします。結果として時間をかけたわりに成果があがらず、ゴールにたどりつけない場合もあります。
これは大きな「時間の浪費」につながります。でもなかなか自分ではそれに気づかないことが多いので気をつけましょう。
四章 時間はお金と似ている?(時間の経済学) ―浪費・消費・投資―
さて、時間とお金はもちろん違うものなのですが、「使い方」という面で少し似ているところがあるのです。たとえば「浪費」「消費」「投資」という概念に置き換えて考えてみるとわかりやすいでしょう。
単純ではありますが、「浪費」「消費」「投資」というこの3つのキーワードを使って時間の性質や使い方について考えてみましょう。「使い方」に着目するのは、この本のゴールである「幸せな時間の使い方」に直結する大事な観点だからです。
先の「時間の性質」とともに、この側面がわかるようになると、時間がより身近なものになり、時間の使い方が格段に上手になるはずです。
まずは「時間の浪費」という言葉があるように、私たちは将来のために役に立たないこと(たとえばゲーム、テレビ、ネットサーフィンなど)でムダ遣いをしてしまいがちという点でお金と似ています。また目的を持って積極的に時間を使う「消費」、少し前倒しにして「貯めたり」、人の力を使って「増やしたり」してから時間を使う「投資」という概念も時間とお金の共通点としてあてはまりやすいのではないでしょうか。
一方で時間はそのままでは直接貯めておくことができないため、お金より使い方を工夫し、よりデリケートに扱う必要があります。放っておけば自動的にどんどん時間はなくなってしまいます。だからといって「どうせなくなるなら浪費した方がマシだ」などと投げやりに考えてはいけません。なぜなら時間は「命」なのですから。
ここでは「お金の使い方の概念」を少し取り入れて、これらのことについて話していきたいと思います。
さて、「時間の浪費」というと単なる「ムダ遣い」という意味だと思うかも知れませんが、ここではもう一歩進めて「目的(ゴール)を目指して進んでいるときにうまく使えていない状態」と考えてください。
この「浪費」は大きく2つのパターンに分けられます。1つは「密度が低い」パターン、もう1つは「中断する」パターンです。
5.時間は伸び縮みする…心・身体・環境で時間の感じ方が変わる
アインシュタインやホーキング博士の理論の話をしているのではありません。
みなさんもよく経験することだと思いますが、自分の気持ちや置かれている状況によって、時間の感覚が伸び縮みし、「もうこんな時間」と感じたり、「まだこれだけしか経っていないのか」と感じたりすることがあります。これには諸説あり、様々な分野の研究者たちがいろいろな見解を出しています。
たとえば、「時間への注目の仕方により、時間の流れの感じ方が変化する」「大人と子供の時間の感じ方は異なる」「病気のときは時間の流れがゆっくりしているように感じる」「命の危険にさらされているときはスローモーションのように感じる」「動物は身体の大きさにより呼吸や心拍の数が異なり、それにより時間の感じ方やまわりの動きの見え方、寿命が異なる」といったような研究がなされており、学会でも様々な角度から活発に議論されています。
経験的にもわかると思いますが、時間は自分が置かれた状況で「ものさし」自体が伸び縮みするので感じ方が変わるのです。忙しい時とゆとりがある時、朝と夜、平日と休日など、その状況により「ものさし」が変わったように感じ方が変化します。つまり主観的には時間は伸び縮みするものなのです。
そのことを理解していれば、それを逆手にとって気持ちや環境・状況を調整し、ゆとりある時間を過ごすことが可能となります。そして、準備、ダンドリ、手順などをうまくおこなうことにより、ある程度自分自身の時間の流れを自在にコントロールすることができるのです。
このようにあたりまえのような「時間の性質」をあらためて確認してみると、何か自分自身の中に少し見えてきたものがありませんか。そして、「時間を大切にしたい」という気持ちになってきませんか。
4.自分の時間はいつ終わるかわからない…だから真剣勝負
「自分の時間はいつ終わるのかわからない。」これもあたりまえのことです。もう少し細かく言えば、「自分が使える時間は生きている間だけ毎日平等に与えられている。そして生きていれば毎日支給される。でも、それがいつ終わってしまうのかは誰にもわからない。」ということです。ある日突然予告もなしに急に終わってしまうのです。
自分の時間が終わる瞬間、あるいは終わる直前に「やっぱりあれもしたかった、これもしたかった」「あれをやり残した」「やっておけばよかった」などと考えても悔やみきれません。走馬灯のようにあれこれ想いが巡るでしょう。ですから日々真剣に生きなければいけないのです。
じつは、私は生まれた時に、ほとんど仮死状態に近い状態でした。命が助かった時、家族や親類からは「儲けものの命」「二度授かった命」などと言われました。
私自身「この幸運にも与えられた大切な命」を真剣に生きたい、また大切に生きざるを得ないと考えています。
そして、せっかく拾った命なら、自分のためだけに使うのではなく、まわりの人も幸せになっていただきたいと思ってこの本を書いています。
仮に事故や病気で不自由していても、現在の生活が苦しくても、今使える時間があまりなくても「いつ終わるのかわからない命」を大切に使ってほしいと思います。
なぜなら、今私たちは生きていて毎日必ず1440分の時間が与えられる権利をもっているのですから。
3.人生の残り時間は減る一方…決して増えることはない
誰もがそうですが、少なくとも「生まれてから今まで生きてきた分」だけ寿命が短くなっています。
言い換えれば「使った分だけ持ち時間が減っている」ことになります。
全部でどのくらい自分の持ち時間があるかは自分ではわかりませんが、確実に減り続けているのです。
たとえその日に何もしなくても全員が平等に減り続けるのですから、積極的に使った方が、そして同じ使うなら「楽しく」「有効に」使った方がよいわけです。
先ほどお話ししたように、少なくとも1日1440分の持ち時間は次の日には持ち越せないので、今日使うしかないのです。
それなのに今日何もしなくてよいのでしょうか。時間は物理的には増やすこともできませんし、未来にとっておくこともできないのです。
全体の長さはわかりませんが「命のろうそく」はどんどん燃えて短くなっていく一方です。
だからといって、『自分の「命のろうそく」はあとどれくらい残っているのだろう』と毎日「うれいても」どうにもなりません。
また、自分の「命のろうそく」の長さ、つまり残りの寿命がわかってしまったら、そのことばかり気になってしまうでしょう。「どうせあと少しだから」とやる気がなくなってしまう人もいるでしょう。
だからむしろ、わからない方が幸せなのかもしれません。
いずれにしても、確実に減り続けていることには違いないのですから、「今、そしてこれから」をどう生きるか、どう時間を使うかに着目した方がよいのではないでしょうか。決して増えることはありません。