身近な「時間と心のゆとり」アドバイザーのあつやです。自分自身が時間をうまく活用できなくて困ったり、あがり症・人見知り・引っ込み思案で悩んだりゆとりがなかった経験から、専門の心理学や時間学の知識を活かして、ブログやHP・SNSなどで解決策を共有したり、本や小冊子で伝えています。
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弱点と共に生きる
弱点と向きあった人生経験
- なんとかなるさ!不器用でかっこわるい人生の楽しみ方 -
あなたは「かっこよく」生きたいですか?
私は子どもの頃からずっと「かっこよく」生きたいと思っていました。「かっこわるい」のは嫌で「かっこよく」なりたいと思っていました。でも最近、「かっこわるくてもいいかなぁ」と自然と思えるようになってきました。「家族のおかげ」かも知れません。
かっこわるい自分、不器用な自分、でもそれが今の自分
私はよくみなさんに「苦手に不安に劣等感、世の中すべてにコンプレックス、そんなのみんな持ってるよ、あたりまえに持ってるよ。」と伝えています。
人生のどの場面でもずっとありましたし、いつもピンチ、ずっとピンチだと思っていました。そして、もがいて、苦しんで、自分なりの解決策を見つけました。不器用でかっこわるいのを逆手にとってチャンスとして乗り越えていったのです。何度も失敗しながら、こうやって生きてきて、「悪くない、むしろこれでいいんだ人生は…」と思いました。
まるで毎日千手観音と百人組手をしているかのように、いまだにピンチの連続です。人と比べ、自分と比べ、困って、焦って、悩んで、苦しみ、今までの人生やることすべて苦手なことばかり、心の中は不安なことばかり、人と比べていつも劣等感とコンプレックス、いつでもピンチな状況、そんなことばかりです。
簡単に私の生い立ちをお話すると、生まれた時は未熟児で仮死状態でした。すぐに保育器に入れられ、酸素吸入、高熱、注射、輸血と職場から駆けつける父が間に合わないとまで言われた状況でした。
一命を取り留め、無事に育ちましたが、一人っ子で両親が長男長女の初孫ということもあり、子どもの頃は親戚一族の期待に押しつぶされ、少年時代はプレッシャーと葛藤し、大人の中で自分らしさを見失いかけ、思春期を悶々と過ごしました。
引き続き学生時代は生き方探しに苦悩し、社会人になってからも周りの人に遠慮し、やりたいことができない、言いたいことが言えないという人生でした。
家庭人としては、子どもが小さいと個人の時間が無くなりますし、やがて長い間両親の介護や看取りをすることにもなりました。
いろいろ経験してみてやっと最近、「苦手に不安に劣等感、世の中すべてにコンプレックス、そんなのみんな持ってるよ、あたりまえに持ってるよ。」と伝えられるようになり、かっこわるい自分、不器用な自分、でもそれが今の自分なんだなぁ、と思えるようになりました。それぞれの時期に悩み、苦しみ、あれこれ試してみて何度も失敗しながら何とか生きてきたんだと「自分で自分を認める」というか「自分で自分を許せる」ようになってきたのです。
子どもの頃から持っているかっこわるい自分たち、弱点だらけの自分たち
まず、子どもの頃からつきあってきた私のかっこわるい部分、7つの弱点を紹介します。たくさんあるので、ジャンルごとに箇条書きにしてみます。私は弱い自分に悩み、認め、弱い自分と向き合い、弱い自分を受け入れ、弱い自分と共生し、その力を借りて、がんばって生きてきました。この後、ライフスタイルなどについても正直に隠さず書きますので、共感していただけるところがあれば、参考にしてください。
あがり症・人目が気になる
あがり症で、人目が気になる。というか人目を気にしてしまう。人前に出ると緊張してしまうので、人前で何かをするのが苦手である。失敗したらどうしよう、恥ずかしい。かっこわるいと思ってしまう。人が自分のことをどう思っているか、どう見えるか、何か言われたらどうしよう、ダメな人間だと思われたらどうしようか。人の言葉を気にしすぎる。かっこつけ、うまくやろうとする、負けず嫌い、恥ずかしがりや、失敗したらどうしよう、口下手、うまくしゃべろうとするから余計にうまくしゃべれない、人前に出ること、人前で歌うこと、学校で発言すること、人前で話すこと。
劣等感、コンプレックス
つい人と比べてしまう、できないことが恥ずかしい、自分に自信が持てない、苦手意識、劣等感、努力してできるようになっても「それでいいんだ」となかなか思えない、人から「できる」と言われても安心、納得できない、自分が納得するまでコンプレックスや劣等感は消えない、周りからのプレッシャーを受けやすい、勝手に無言のプレッシャーを感じてしまう、誰も何も言っていないのに「期待されている」と思ってしまう、プレッシャーに負けて、あせる、ピンチ、ストレス。
学校でも、かけっこ、水泳、ボール投げ、野球、お絵かき、工作、字が下手、作文が下手など。
人見知り・気が弱い
自分以外の他者、他者・他人の存在自体ストレス、人との心の距離がとれない、人が怖い、知らない人が怖い、相手がどんな人なのか、何を考えているかわからないので怖い、人づきあいが嫌だ、自分のやりたいようにやりたい、ほっておいてほしい、人あたりして心が疲れる、パーソナルの領域に入らないでほしい、アプローチされること自体嫌である、自分の世界に入ってほしくない、傷つけられたくない、人との対立・争いが嫌い、うっとうしいのは嫌だ・煩わしい、文句を言われたくない、気兼ねする、摩擦を避けたい、我慢すれば争いが避けられると考えて我慢してしまう、争いを避けるために勝負から降りる、自分の思い通りにしたいけどそうならない場合が多い、我が強い、コミュニケーションがうまくいかない、言いたいことが言えない、対人恐怖症、人見知り、内弁慶、人に合わせてしまう、まわりに押し切られてしまう。
あせる・あわてる・パニックになる
気持ちがあせる、あわてる、すぐパニックになる、せっかち、取り越し苦労、物覚えが悪い、記憶力が悪い、呑み込みが悪い、一回で覚えられない、書かないと忘れてしまう、文章の内容が一回で頭に入らない、頭の中が取っ散らかる、真っ白になる、タイムトライアルに弱くパニックになる、慌てる、焦る、一度にたくさんのことができない、同時並行処理ができない、やることが多いとパニックになる、人のペースでやりたくない、自分が納得しながら自分のペースでやりたい、一つ一つ片を着けたい、自分のダンドリでいきたい、マイペース、とっ散らかる、人のペースは嫌だ、自分の中でわかるまで、できるまで反復練習したい、じっくりやりたい、納得したい。
不安・心配性
心配性、不安症、明日のことが心配で眠れない、不安なことが夢に繰り返し出てくる、性格が細かい、しつこい、くどい、不安で確認ぐせがある、やり直しが多い、ものごとが気になる「これでいい」と思えない、自分が安心、納得するまで心を整理したい。
引っ込み思案・先のばし
臆病・引っ込み思案、一歩前に進めない、石橋をたたいても前に渡れない、完璧主義・踏ん切りがつかない、自分で納得するまで先に進めない、マイペース・のんびり型、やりたいけどやれない、行動できない・行動にうつせない、自分のタイミングで納得して進みたい、安心できる状況になるまで条件が整うまで先に進めない、やらずじまい、先のばし・先送り。
ストレスに弱い
ストレス耐性が弱い、めまい、目が回る、胃にストレスがたまる、やる気・モティベーションが下がる。
かっこわるさと向き合って、なにふりかまわずやってみた、苦しみ、もがいてやってみた。我を忘れてやってみた。
私はこれら7つの弱点と闘ってみました。そしてなんとか「マイナス」を「ゼロ」ぐらいにはできたかなぁ、と思っています。「苦手なものは苦手でもいい、でも何かやりようはある」と考え、人との出会い、本や道具との出会い、学び、心のふれあい、何かきっかけとなるできごとをバネにしました。その中でやってみたことは次のようなことでした。
①心持ち、気持ち、ものの見方・感じ方・とらえ方を変えてみる。
②人や本から学ぶ・教わる。自分で考えながらやってみる。
③時間を味方につける。道具・ツール・本・手帳などを味方につける。
また「かっこわるさは直らない。プラマイゼロでもなんとかなるさ!」と半ば開き直り、それならば、「知恵と技術と少しの勇気で乗り切ろう!」ということで、「アンチョコ、トリセツ、知恵袋、裏ワザ、口コミ、神頼み、どれでもいいから端から試す、溺れる者は藁をもつかむ、うまくいったらそれでいい。自分のトリセツ、人生のトリセツ」という意味不明なキャッチフレーズを掲げて、「具体的な対処を知恵に変え、書き留めておく」という作業をひたすら続けました。
がんばってはみましたが、本質的には弱点は直るものではないということがわかり、少しずつ書き留めておいて、それを見ながらその都度対処するようにしました。人から教わったこと、自分で気づいたこと、一生懸命考えたこと、一つ一つメモして5000語以上、考え方やノウハウを分野ごとにわかりやすくノートにし、それを小冊子にして30冊以上、それらをまとめて本にもできました。
これによって、千手観音との百人組手に勝ったわけではありませんが、何とか互角に組手ができるようになってきたような気がしてきました。
シンプル・スマート・スピーディ
人生は、シンプル・スマート・スピーディ
-人生をエンジョイするための3S(スリーエス)-
私が目指すことのひとつに「人生は、シンプル・スマート・スピーディ」というのがあります。
シンプルに考え、行動や生き方をスマートにし、ゴールにスピーディにたどりつくという人生をエンジョイするための3S(スリーエス)です。それぞれの一言キャッチフレーズは、
シンプル 「単純、簡潔、ストレート、直観、必要十分に。」
スマート 「賢く、無駄なく、手際よく、ダンドリ、先取り、さりげなく。」
スピーディ 「素早く、手早く、俊敏に、能率、効率、正確に。」
ですが、その基本となる「シンプル」について考えたいと思います。
シンプルに生きると楽になります。でもなかなかそれができません。私もそうです。「シンプル」「シンプルライフ」とは、何を指すのでしょうか。「いろいろな人」が「それぞれの考え方」を本や雑誌、ブログなど様々なメディアの中で定義しています。あれこれ読んでいてどれも良さそうで迷ってしまいます。それでいいのです。人それぞれなのです。それぞれの生き方や価値観、人生観で決めていけばいいのです。
『シンプル』とは『わかりやすい』こと
まず最初に思うのは、シンプルなことはわかりやすいということです。
ものごとがわかりやすいというのはとても大切で、構造的にも内容的にもわかりやすいことにより、頭と心が整理されます。
構造的にわかりやすいということは、「構成要素が少なく全体がつかみやすい」「単純明快・簡潔でわかりやすい」「すっきりしていて簡単に理解しやすい」ということです。
内容的にわかりやすいというのは、「本旨が明確でわからないことがない」「本質的で理解しやすい」「必要十分でそれ以外必要がない」ということです。
そしてこれにより、頭と心が整理されている状態になるのです。
『シンプル』とは『気持ちがいい』こと
次に、心持ちとして気持ちがいいということが挙げられます。
シンプルな「場所」や「モノ」、「コト」に出逢うと、私たちはどんな気持ちになるでしょうか。
何もない空間、広い場所、整理された部屋などを思い浮かべてみてください。
おそらく「すっきりする」「ゆったりする」「清々しい」といった感情や感覚が生まれてくるのではないでしょうか。
そのような場所にいて、心がすっきりしてくると、やがて「楽しい」とか「面白い」とか「幸せ」という気持ちにつながっていきます。そしてそれが、お気に入りの場所やモノ、コトになります。
『シンプル』とは『楽になる』こと
シンプルという概念で最も大切だと私が思うのは、楽になることです。
これは、私が提唱しているライフスタイルの「テマヒマかけずにエンジョイライフ」につながるのですが、「人」「モノ」「コト」「お金」「情報」「時間」「空間」「心」「身体」「頭」から解き放たれ、自由になることです。煩わされることから解放され、関係性が少ない状況で気持ちが楽になります。
すると、テマヒマかからず、ストレスが少ない状態になります。
「自由」とは、「自分の心と正面から向き合い」、「自分の頭で考え」、「自分の足で立ち」、「自分の信念にもとづいて行動し」、「自分の責任において生きる」ということだと考えていますが、ものごとをシンプルに考えることで、何事にもとらわれず、自分の心にしたがい、「あるがまま」「ゆったり」「のんびり」人生を楽しむことができます。
『シンプル』とは『安心する』こと
そして、シンプルとは「安心する」ことにもつながります。
安心とは、「心が安らぐこと」つまり、「不安がない」「心配がない」ということです。
不安は「漠然と心の中に浮かんでくる目に見えないもの」、心配は「具体的に目に見えるものごと」です。
ものごとがシンプルであると、わかりやすく、目に見えやすいので、「わからないことがなく」、「安定している」つまり「不安定なことがない」状態であり、「ホッとする」「安心する」ことにつながります。
『シンプル』とは『美しい』こと
また、ものごとがシンプルであれば、私たちは「美しい」と感じます。
シンプルであるということは、余分なものがそぎ落とされていて、無駄がなく、洗練されていることなのです。
そして余計なものがないので、飽きがくることがなく、要素が厳選されていて良質であることにもつながります。
『シンプル』とは『迷いがない』こと
行動や生き方がシンプルになると、迷いがなくなります。
余計なことをあれこれ考えない、ものごとにいろいろとこだわらない、頓着しない、執着しない、欲をかかない、悩まないという行動や生き方をすると、ものごとの選択において、あれこれ迷わず選びやすい、いろいろ迷わず決めやすいという効果があらわれます。
『シンプル』とは『落ち着く』こと
最後に、私が目指す人生の境地として、『伽藍堂(がらんどう)』というのがあります。
これは、ある意味「シンプルライフの悟りの境地」とも言えるべきもので、雑音がなく、ゆったりとしていて、居心地のよい、落ち着く場所やコトのことを指します。
その境地に達することによって、落ち着いて動きやすい行動や落ち着いて取り組みやすい環境を手に入れることができます。
人生を楽しむことの「本質」
このように「シンプル」には様々な面があり、このほかにも違う視点がいくつもあると思います。
あらためて整理して書き出してみると、自分でもなるほどと思うことがたくさんあります。
私は、ものごとを「シンプル」にとらえることにより、自分の人生を豊かにすることにつながればと期待しています。
高校生の時に「テマヒマかけずにエンジョイライフ」というライフスタイルを提唱し始めて、これまで、著書、ホームページ、ツイッター、ブログなどでもずっと言い続けていますが、その根幹にこの「シンプル」という概念と先に述べた「シンプル、スマート、スピーディ」という道しるべがあります。
「なんとなく」ではありますが、この「シンプル」ということが、人生を楽しむことの「本質」につながるのではないかと最近思うようになりました。
最初に述べた、私の目標・ゴールとして考えている「人生は、シンプル・スマート・スピーディ」ということ、つまり、シンプルに考え、行動や生き方をスマートにし、ゴールにスピーディにたどりつくという人生をエンジョイするための3S(スリーエス)をもう一度挙げてみます。
シンプル 「単純、簡潔、ストレート、直観、必要十分に。」
スマート 「賢く、無駄なく、手際よく、ダンドリ、先取り、さりげなく。」
スピーディ 「素早く、手早く、俊敏に、能率、効率、正確に。」
これらにたどり着くよう、なるべく『シンプル』に考えていきたいと思います。
個人として「一人の時間」を楽しむ
「パーソナル」(個人)
「パーソナル」は本当の自分です。本当の自分は何がやりたいのでしょうか。
小さい頃の自分を想い出してみてください。
私は「歌」「お絵かき」「工作」「ブロック」「お散歩」「ダンス」「お手紙」「三輪車」などが大好きでした。そのうち「野球」「サッカー」「テニス」「ピアノ」「バイオリン」「クラリネット」「フルート」「トランペット」「ギター」「シンセサイザー」「オーケストラ」「サイクリング」「読書」「作文」「プラモデル」「ラジコン」などが好きになって、大人になってからは「読書」「執筆」「機械いじり」「スポーツ」「サイクリング」「オーケストラ」「旅行」「ドライブ」「映画」などが趣味になりました。
タスクが多い日々の中でも、前著『人生が爽やかに変わる時間術』でも書いたように、朝からこの「パーソナル」の部分を楽しんでいます。
大好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、原稿を書いたり、そして大好きなコーヒーを飲みながらリラックスします。もちろん友人にメールを送ったり、SNSに投稿したりもしています。
学生時代から「文化祭男」と呼ばれ、文化祭、体育祭、クラブ活動や委員会、生徒総会、そしていくつもの習い事を同時にかけ持ちすることが多かった私は、家族や友人との時間もたくさん持ちながら、この「パーソナル」の部分を大切にしてきました。
やはりこの「パーソナル」の世界が小さくなりすぎると「自分が自分でなくなってしまう」感じがします。そして、家族や職場の人にもやさしくなれない気がします。
「忙中閑有り」というように一瞬でもよいので一人の静かな時を持ちましょう。そして「頭の中はいつでも自由」です。いつでも、どこでも、どんな時でも考えることはできますので、じっくり自分と向き合う時間を大切にしましょう。
また「ライフ」の部分、つまり家族との時間の中でも、この「パーソナル」の世界を楽しむようにしています。
たとえば、平日帰宅してから子どもたちと本を読んだり、絵を描いたり、一緒に楽器の練習をしたり、歌を唄ったり、音楽を聴いたり、休日も散歩やサイクリング、買い物、映画、図書館、美術館そして旅行など、「パーソナル」と「ライフ」の接点を拡げて、つまり「何のために」を広く設定して楽しむようにしています。
「ライフ」と思っている時間の中にも「パーソナル」として楽しめることがたくさんあるのです。
それも含めて私は「パーソナル」の時間をエンジョイしています。
もともと趣味が多い私は、いろいろなことに興味があり、やり続けたり、学び続けたりしています。すると「何かの縁」や「出会い」でチャンスに結びついたり、結果が出たりすることが多く、とにかくその運を信じて一歩前に踏み出すようにしています。
等身大の自分の心に素直に耳を傾ける (やりたいこと、想っていること、伝えたいこと)
本当の自分の気持ちに正直になってやりたいことを考えてみましょう。
私たちはついまわりの人がしていることを見て、自分の行動を決めてしまいがちです。他の人がやっていること、行っている場所、通っている店、食べているもの、持っているモノなどいろいろ影響を受けています。
でもその中で本当に自分が望んでいることはどのぐらいあるのでしょうか。本当に望んでいることなのでしょうか。ほとんどはそうではありません。
本当に望んでもいないことに大切な命の時間を使ってしまってよいのでしょうか。自分の本当にやりたいことができないならそれはまさに「本末転倒」ではないでしょうか。
本当にやりたいこと、想っていること、伝えたいことを大切にしましょう。
チャンスの時のために好きなことを学び続けること
好きなことは、常に学び続けましょう。趣味や教養は少しずつでも途切れ途切れでもよいので続けましょう。どんなことでも1000時間続けることができると身につくといわれています。
また「チャンスはそれが準備できた時にやってくる」「チャンスの女神には前髪しかない」といわれるように、何かのチャンスに巡り逢ったときに、それを活かすことができます。そのことを通じて友人や仲間に出逢うこともできます。人生の「たからさがし」だと思って続けましょう。
夢を見るだけではなく、叶えるために行動すること
「夢は見るもの」ではありません、「叶えるもの」です。「絵に描いた餅」のままではいけません。夢を描いたらそれに向かって第一歩を踏み出しましょう。
「動かなければ結果は出ない、失敗も成功もない」「打席に立たなければヒットもホームランも打てない」ということです。夢のために動いている時は自分自身が生き生きとして輝いているものです。寝食を忘れて打ち込める夢は素敵だと思います。
まずは夢に向けてエントリーしましょう。
運を信じて一期一会のワンチャンスを活かす(人、本、モノ、体験)
夢に向かって動いていると、時々運命的な出会いがあります。人、本、モノ、体験など「たまたまの出会い」「偶然」を信じて、そして「何かの縁」を信じてそちらに舵を切ってみましょう。「えい、やぁっ」と飛び込んでみましょう。
すると、思いがけずよい方向に事が運ぶことがあります。あとから考えると「あの時のあの出会いがなければ、今の自分はなかった」ということもしばしば起こります。二度目はないのです。運を信じて一期一会のワンチャンスを活かしましょう。
そして「パーソナル」の部分で忘れてはいけないのが「ゆとりのひととき」です。
人間にとってこの時こそ「至福の時」ではないでしょうか。私の場合は、不安や心配ごとがなく、ゆったりと落ち着いた気分でコーヒーを飲みながら音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり、あるいは頭の中を空っぽにして散歩をしたり、サイクリングをしたりします。これがもっともぜいたくな時間の使い方ではないでしょうか。
すべての時間が「ON」では疲れてしまいます。「OFF」を積極的に楽しみましょう。
ただし、「ON」があってこその「OFF」なので、「ON」も精一杯活動しましょう。
幸せは家族の中にある
家族との時間は今しかない
なぜ私が家族との時間にこだわるのか、それは「今」しかないからです。
人それぞれいろいろな考え方がありますので、軽い気持ちで聞いてください。
人は生まれてから日々成長し、歳を重ねていきます。
生まれたばかりの赤ちゃんから、幼児、子ども、少年、青年、大人、親、そして老人となるまで毎日少しずつ歳を重ねていきます。
「またあたりまえのことを言っている」と思うかもしれませんが、じつはこれは「すごいこと」なのです。
人が毎日歳を重ねながら生き続けていくこと自体「すごいこと」なのですが、それ以上に、「家族として出会い」「共に暮らし」「同じ時を過ごしていること」がすごいのです。
自分はたまたま両親のもとに生を受け、大切に育てられ、兄弟姉妹がいる人はまたそこで出会い、大人になって一生のパートナーと家族になる約束をします。そしてそこに子どもが生まれ、自分は親となり子どもを育てていきます。自分の両親やパートナーの両親は祖父母となり一緒に子どもを育てます。
たまたま「ある時」「ある家」に生まれ、家族と出会い、一緒の時を過ごすのです。なんて運命的な出会いなのでしょうか。そして日々の楽しみ、悲しみ、苦しみ、喜びなどを共有し、同じ時間と空間を過ごすのです。このことだけでも「すごいこと」だと思いませんか。
ですから、まずこの運命的な出会いを大切にしましょう。
また、その家族も刻一刻と歳を重ねているのです。同じ日は二度とありません。子どもはすぐに大きくなります。大人は「あっという間」に歳をとります。つまり家族の時間には「今」しかないのです。
たとえば子どもが小さいときはみんな一緒に旅行に行っていたけれど、大きくなったら、勉強や習い事、クラブ活動や友人との約束などの予定が入り、なかなかみんなの予定が合わないということはよくあります。とにかく「今」を楽しむしかないのです。それこそ「ワンチャンス」だと思ってください。
また、自分が子どもの頃や若い頃反発していた両親が歳をとり、「老い」を感じるようになったとき、自分も子育ての真っ最中でしょう。子育てをしてみて、本当にはじめて親のありがたみがわかります。そして感謝の気持ちとともに、これから先、自分が両親に何をしてあげられるかを考えるのです。
そう思ったら、そのときすぐに動かなければなりません。電話1本、手紙やメール1通でよいのです。「今何してた」「元気にしてる」「今日何食べた」だけでもよいのです。「今、つながる」ことが家族には大事なのです。
過ぎてしまった時間は戻ってきませんが、家族との「今」を積み重ねていった結果が「想い出」になるのです。
ですから「今」を積み重ねていかなかった家族には「想い出」がありません。家族の「今」を1ページずつ積み重ねていくと「家族の想い出の本」ができあがります。そう考えると、白紙のページを重ねたくないですよね。
もう一度言います。家族の時間には「今」しかありません。そう心に刻んで家族一人ひとりの顔を見つめて「にっこり」してみてください。きっと幸せを感じます。
家族との大切なひとときを大切にする
「ライフ」(家族)
「ライフ」つまり「家族との時間」についてについて「大まじめ」に考えたことはありますか。なにも「肩ひじ張って」考えなくてもよいのです。
一番大切なことは「一緒にいること」「楽しむこと」「お互いを大切にすること」です。
何かの縁で家族になったのですから大切にしましょう。
きっかけやイベントは何でもよいのです。あれこれ考えすぎず楽しみましょう。でもじつはそこにもいくつかのコツがあって、今までの経験から、というより子どもの頃から身についている楽しみ方があるのでご紹介します。
一緒にいること自体を大切にする
家族と過ごす時に、一番大切にしたいことは何でしょう。それは「一緒にいること、一緒に時を過ごすこと」です。
もちろん、イベントや活動内容も大切なのですが、「今、ここで大切な家族と一緒にいられて幸せだな」と思うことが大切です。「家族それぞれが自分の時間を調整して同じ時間に集えること」「みんなが健康で心配がないこと」「お互いの笑顔が見られること」「何気ない会話を交わせること」それらすべてが「たからもの」です。
旅行、コンサート、映画、スポーツなどのイベント、散歩、買い物、公園などのちょっとしたお出かけ、食事、お茶会、ホームパーティ、一家団欒など何でもよいのです。
次にまたみんなで楽しく集えるのは、果たしていつなのか、いつまで一緒にいられるのかなどについて思いを馳せてみるとよいでしょう。
「今、ここで」大切な家族と一緒にいられる幸せをじっくり味わいましょう。
家族それぞれの楽しみに着目する
イベントや活動内容は何でもよいのですが、せっかくならみんなで楽しめる方がよいと思います。
それぞれの興味関心事は違いますので、全員が一度に満足する活動を探すのはたいへんです。特に子供が小さい時などは「やりたいこと」や「行きたいところ」がいろいろあり、家族で調整するのもひと苦労です。
そんな時は、それぞれの楽しみを少しずつ入れて予定を立ててみたり、「今日は○○中心の日にしよう」と主役を決めてみるとよいと思います。
与えられた環境や条件、許される状況でどんどん楽しむ、とことん楽しむことが大切です。そして、次回の主役も決めつつその時間を楽しみましょう。
その日のテーマを1つに絞り込む(一点豪華主義)
休日は思ったより時間がありません。「気がついたらもうお昼」なんていう経験も多いと思います。
前日までは「あれもしよう、これもしよう」と考えていますが、つい夜更かし、朝寝坊のパターンになってしまい。1日の終わりには「あまり遊んでないけど疲れた」となりがちです。
そうならないためには、その日のテーマを1つに絞り込むとうまくいきます。あらかじめ家族に「明日は○○の日にしよう」と話しておいて、みんなでその気分を盛り上げていきます。当日はその活動だけでは時間が余ってしまう場合はプラスアルファのオプションをつけたり、少しグレードを上げてみたりしますが、まずは「家族が楽しめてよかったな」「今日は満足したな」という気持ちになるように一点豪華のテーマをつくります。
あれこれやって結局「疲れたね」となったり、「今日は何をやったのかわからない」となると、せっかくの時間が台無しになってしまいます。
「モノ」より「想い出」を大切にする、そしてプラスアルファ(シャンパン、花束、ケーキ)
よく言われていて使い古されている言葉かも知れませんが、「モノ」より「想い出」が大切だと思います。
家族みんなでする体験や経験は何事にもかえがたい「たからもの」です。
単にモノで残すよりも、「非日常の体験」や「お金で買えない経験」を共有し、「想い出」に残した方が幸せです。
私はそこにプラスアルファを提案します。
毎回ではありませんが、お祝い、記念日、旅行などでは「モノ」にも活躍してもらっています。
たとえば誕生日や記念日などには「シャンパン」や「花束」「ケーキ」などのサプライズを用意します。これらはいわゆる「消えもの」と言われるもので、飲んだり食べたりすれば無くなり、花も長くは残らないものですが、その大切な時を飾るものとしては大いに活躍してくれます。時には、そんな「モノ」の力を借りながら大切な家族との「想い出」をつくっていきましょう。
「楽しかったね、ありがとう」の気持ちを言葉で伝える
私は家族で1日楽しく過ごした日の夕食の時や1日の終わりに「楽しかったね、ありがとう」という言葉を家族みんなにかけるようにしています。
早起きして出かける準備をしてくれたり、みんなが気持ちよく過ごせるように少しずつ我慢してくれたり、やりたかったことを次の機会にまわしてくれたり、それぞれが楽しく過ごすためにがんばってくれた1日です。
お互いそれぞれの心の中では感謝の気持ちを持っているのですが、1日遊んで疲れてくると、不機嫌になったり、わがままが出てきたりします。それではせっかくの1日が台無しになってしまいますので、私からあらためて「楽しかったね、ありがとう」と声をかけるようにしています。すると、自然とお互い「楽しかったね、ありがとう」と声をかけ合うようになり、ニコニコで1日を終えることができます。そうすると「次はいつ行く?どこ行く?何する?」と楽しい次の1日につながっていきます。ぜひためしてみてください。